私はメイドではない。記者なのだ。

アフリカ系記者であるドロシー・バトラー・ギリガンが体験してきたさまざまな差別。

Dorothy Butler Gilliam: ‘I am not a maid, I am a reporter’ – BBC

黒人専門のミドルクラスの新聞社でキャリアをスタートさせたドロシーですが、まだ白人男性中心世界でかなりの差別を受けていたころです。

裕福な女性の100回目の誕生日に招かれたときには、ドアマンに「メイドはあっちだよ」と言われたそうです。

「私はメイドではありません。記者です」と彼女は答えました。

彼女はアフリカ系で初めての新聞記者であり、30年間におよぶこのようなめまぐるしさを経験してきたそうです。

記者としての彼女のデビューは、体調の悪いスタッフの代わりに書いたものだとか。

のちにコロンビア大学に進学し、24歳のころワシントンポストに入社します。

しかし、記者になったからといって、すべてが変わってくれるわけではありません。

タクシーは止まってくれないし、記者だと信じてもらえないし、「黒人の殺人なんて安っぽいから取り扱わないよ」とまで言われてしまいます。

パニック障害に襲われたり、以前勤めていた新聞社に相談したり、教会に助けを求めたり。

白人の同僚たちは、彼女を無視するようなしぐさをしたのだそうです。食事をすることすら難しかったようです。

状況はよくなりつつありましたが、ワシントンのレストランではまだ黒人と白人が分けられていたころです。ワシントンポストのクローゼットも分けられていました。

いつになったらカフェでゆっくりお茶が飲めるのだろう?ドロシーは思いました。

そこでドロシーは、新しい考えを思いつきました。

「黒人のネガティブな面だけを強調したくない。黒人のすべてを伝えたい」

たとえば、ミシシッピ大学に初めて入学した黒人学生の話を書きました。同じ大学の白人学生は彼に将来性を感じてくれていました。

1960年、ドロシーには3人目の子どもが生まれ、ワシントンポストを退職し、1972年に再雇用されたあとはスタイルセクションの担当になりましたが、この仕事がとても気に入っていたと言います。

「ブラックカルチャーをたくさんスタイルセクションに取り込めるのはエキサイティングだわ。お金持ちでメイドか何かがいる人だったら、ブラックカルチャーがメインストリームになるってことでしょう」

彼女は部署を立ち上げて人を雇い、教育や人種、政治などを取り上げて、2003年にドロシーはリタイアした。

彼女が成し遂げたものは多様性(ダイバーシティー)。黒人のメイドと虐げられていたころから、ジャーナリストとして成長していくまで、どれほどの苦しみがあったことだろう。

ごーや
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